呉駅ビル 水車
昨日の呉駅ビル風車に続き、水車。
noteにも書いたのですが、
初代水車には「串揚げコーナー」がありました。
通路側からのれんをくぐるとカウンターがあったのを
覚えています。
店の前で職人さんに抱きかかえられたのを覚えていて、
入社したとき、その方から水車のイロハを教えていただきました。
水車で約30年以上は勤めてくださったと思います。
交通事故に遭い、当社を退いてしばらくのち、、
他界したことを父親から聞きました。
新潟から出てきて、お座敷天ぷら屋で腕を磨き、和食を探求。
縁あって、大阪の祖業・水車からの縁で広島に居を構え、
当社の部長を務めてくれていました。
愛くるしい笑顔を今でも思い出します。
長年続けて来れているということは、働く私たちにもそれなりの
ドラマがあり、人生があります。
ふと、私の行動を顧みて、55年の足あとに恥じていないだろうかと
自問自答を繰り返します。
そういう意味でもこのコロナ禍、貴重な時間となった一年でした。